禁煙17日目。煙草会社のご意見3。
昨日書き切れなかったから、煙草会社のご意見3。
というか、JTの主張ってつっこみどころ満載なんだよね。
あらためて言うけど、
僕らがニコチン中毒で苦しんでる、
その原因となってる煙草を売っている会社が、
どういうスタンスをとっているかを僕らは知るべきだと思う。
そして、なんども例に出すけど、
世界最大の煙草会社・フィリップモリスは、
意外にも、全面的にニコチンの危険性を認めまくってる。(下線太字化は僕による)
喫煙は、心血管疾患 (心臓病)、肺がん、慢性閉塞性肺疾患(肺気腫や慢性気管支炎)など、数多くの深刻な疾病を引き起こします。 喫煙者がこれらの疾病のいずれかにかかる可能性は、非喫煙者に比べてはるかに高くなります。 また喫煙には依存性があり、やめることは極めて困難な場合があります。 これが、世界中の主要な医療機関および科学機関の見解です。 また、これらはフィリップ モリス インターナショナル(PMI)の見解でもあります。
こういう企業のあるアメリカでは、やはりというか、とうぜんというか、日本よりも遙かに禁煙に対する意識が高い。室内ではどこも完全禁煙だし、煙草1箱千円することもある。そんな環境にいれば、煙草を吸い始める機会も日本と比べて少ないのはあたりまえだ。
で、一方、我らがJT。
どんな覚悟で煙草を売ってるのか、きいてみようぜ!
ほないこかー!
喫煙の社会コスト | JT ウェブサイト(下線太字化は僕による)
喫煙の社会コスト
喫煙により、喫煙者個々人だけでなく、社会全体として損失が発生しているのではないか、という指摘があります。これは「喫煙の社会コスト」と言われているものです。
私たちは、喫煙の社会コストについてその定義・計算方法等が広く合意されているとは言えず、したがって社会コストが発生しているのかどうか、また発生しているとしてその金額はどのくらいであるかについては現時点ではっきりとは言えない、と考えています。喫煙の社会コストを推計した研究報告は日本・海外を含め多数あります。それらはそれぞれ異なった計算前提や仮定に基づいており、したがって推計結果もまちまちです。明らかに非合理的だと思われる仮定にもとづいた推計も見られます。喫煙者について非喫煙者よりも多くの一人当たり医療費がかかっているかどうかについては、客観的な裏付けがあり広く合意された結論は未だ無いものと考えています。喫煙者と非喫煙者では医療費に差は無いという報告も複数あります。また、肺がん等の喫煙と関連があるとされている疾病について、その関連性は疫学研究により示されているものですが、実際にはそれらの病気は住環境、食生活、運動量、ストレス、遺伝的要因等さまざまな要因が複雑に絡み合って発生するものです。したがってそれらの病気にかかる医療費あるいはそれらの病気による死亡に伴う損失について、たばこにのみ責を帰したり、あるいはたばこの寄与度を過大に評価したりすることがあれば、不適当であるものと考えています。
JTの主張の文章って、ほんとうに悪文だ。
理由は明白、接続語が徹底的に省かれてる。「しかし」とか「でも」とか「ただし」とかが必要な箇所が山ほどある。もちろんこれは意図的に省かれてると考える方が自然だろう。
なんで、「しかし」とか「でも」を使わないかって?
それは「言い訳」に聞こえてしまうから。
JTとしては「私たちはこう言いたい」じゃなくて「 冷静で客観的な事実として、こうなってるのはわかりますよね?」という風に文章を読ませたい。あくまでクレバーに。淡々と。だから「しかし」とか「でも」といった接続語が省かれてる。
そして、読み手のことを考えていないから、悪文のまま提示しても平気なんだ。
まったく、企業としてその姿勢がどうかと思う。
言い訳に聞こえないように、彼らが一所懸命に主張しているのは「煙草は言われているほど悪くない」ということだ。
なんなら「煙草は社会から不適当に叩かれている」とけなげな被害者のような顔を見せようとしてる。
さすがに煙草の害悪が世界的常識になってるいま、
この「けなげな被害者」の芝居は、
ほんとうにお寒い。
というか、セコい。
セコくて、ダサい。ちょうダサい。
実際、JTは複数あるという「研究報告」や「指摘」のソースの提示を一切行っていないし、それら報告をしているという「科学界」「各国衛生当局」とかへのリンクもひとつも貼っていない。
僕ら閲覧者にはいかなるリファレンスも渡さない、一方的な主張だ。客観性はどこにも存在しない。
「喫煙者と非喫煙者では医療費に差は無いって、あっちの人はみんな言ってるよ!」
「あっちのみんなって、誰だよ?」
「それは……えっと……みんなだよ!」
ガキか。
つづきは明日。
禁煙16日目。煙草会社のご意見2。
禁煙14日目に、世界最大の煙草会社「フィリップモリス」が煙草の危険性についてどんなステイトメントを出しているかについて触れた。
じゃあ今日は、我らがJTはいったいどんなことを言ってるのかきいてみよう。
とくに、僕らがいちばん苦しんでいる、煙草をやめたくてもやめられない理由である「依存性」について、彼らはどのように認識してるんだろうか?
さっそくJTのホームページを見てみよう。
僕はこのwebサイトにはじめて訪れたとき、愕然とした。
なんの情報がどこにあるか、まったくわからない。
あまりに迷子になってしまって、しまいには森の中で呆然と立ち尽くしているような、途方に暮れた気分になった。
これはサイトデザインの問題というか、どのような姿勢でwebサイトを作るかという会社の哲学の問題だ。
僕はこういう企業webサイトが大嫌いだ。
顧客や閲覧者が欲しい情報に関心がなく「自分が教えたい情報にしか興味がない」サイト。独りよがりで、自己愛に満ちて、きれいな言葉をならべている割にはすべてが表層的で奥行きがない。
結局、僕はJTが公開する「煙草の危険性に関する情報」に行き着くまでに5分以上かかった。そんなのってアリ? あるサイトで求める情報にたどり着くまでに5分以上迷子になるなんて、いままでにそう経験したことがない。たいていのユーザーは10秒でサイトを離れるって言う研究もあるくらいで、良識がある企業はすこしでも情報にアクセスしやすいサイト作りに腐心してる。
その点、フィリップモリスはJTよりも遙かに優れていると思う。
「トップページ」→「喫煙と健康」
と該当ページまで1クリックで飛べる。どこにそのリンクがあるか探すのにもそれほどの苦労はなかった。
で、話を戻すと、我らがJTのwebサイトでは
「トップページ」
→「企業情報」
→「たばこ事業」
→「たばこ事業を行うにあたっての基本姿勢」
→「喫煙と健康に関するJTの考え方」
→「依存性」
と5クリックも必要だ。
5クリック!
じゃあ5クリックが必要で、しかも辿り方も知った上で、もういちど自分でそのページまでたどり着けるか、JTのサイトを見て欲しい。
さきに言うけど、たぶん無理だと思う。
それくらいこの情報はわかりにくいところに格納されてる。厳重にいくつもの箱の中にしまわれて、人目から隠されているかのように。
それでようやくたどり着いたページがこれだ。
内容は自分でよく読んで欲しいけど、とにかくひどいシロモノだ。
ちゃんと煙草の危険性を訴える国際機関の言葉を引用して、リンクを貼っているフィリップモリスとはドエライ違いだ。客観性の精度が比較にならないのはもちろん、JTが書いている内容は僕たちのような禁煙挑戦者の実感とはほど遠い、少なくとも僕の体感する苦しさにはとうてい及ばない控えめななものだ。
冒頭だけでもつっこもう。以下の序文を見てみると(注目点は僕が太字化)
たばこには、弱いものでありますが、依存性があります。実際に、禁煙するのは難しいとおっしゃる喫煙者が多数いらっしゃいます。依存は、酒(アルコール)・たばこ(ニコチン)・コーヒー(カフェイン)といった嗜好品によるものから、麻薬・覚せい剤といった違法薬物によるものまで、幅広くみられる精神的・身体的状態です。科学的にみた場合、依存の特性としては以下のようなものがありますが、たばこ(ニコチン)の依存性は他の物質に比べて弱いものであることが知られています。依存性
この文章、なんだか気持ち悪くない?
そう感じるのは当然だ。理由は2つある。まずは
① たばこの依存性は弱いものじゃない。(でも短い序文中に「弱い」と2回も繰り返されてる)
てこと。これは太字の部分。
ニコチンの依存性が弱いわけないじゃないか。僕もずいぶんお世話になった「みんなの禁煙掲示板」を見てみるといい。みんな悶絶してるじゃんか。三日間、緑茶を飲まないと決めたって、ここまで苦しむことはない。三日間、手放しただけでこんな地獄みたいな禁断症状を味わうことになる合法の嗜好品が他にあるのか?
あるのならぜひ教えて欲しい。
ニコチンの依存性が弱いわけないよね?
そしてJTの文章が気持ち悪い理由、二つ目。
② 行間で無理矢理「依存性は弱い」と読ませてくる。
もういちど読み返して欲しい。ポイントは頭の2文だ。
「たばこには弱いが依存性がある」
「実際に禁煙が難しいと言う人間がいる」
この2文をつづけてならべたとき、次にくる文章としていちばん自然なものは「しかし」ではじまる文書だ。これは僕ら日本人が日本語を読むときの自然な言語感覚だ。
でも実際には「しかし」とは置かれていない。その代わり、僕らは無意識のうちに文章をこのように脳内で補完することになる。
「たしかに、たばこには弱い依存性がありますが」
「なかには、実際に禁煙が難しいと言う人がいますが」
これが印象操作だ。
冒頭の2文でパラグラフの全体の印象は決められてる。そして実際に「しかし」を入れて読み直してみるといい。それでも意味はまっすぐに通じるでしょう??
こういう「むりやり行間を読ませる」レトリックは、書き手としてはそこそこ高度な技術だ。きっと広告代理店でこのようなプロパガンダに慣れたライターが文章を作ったんだと思う。でも技術は一流じゃない。だって読んでて気持ち悪いんだから。あくまで無理矢理、行間を読ませようとする作為的な文章だ。
押しつけがましい文章。だから僕らは読んでいて気持ち悪い。
JTはニコチンの危険性を訴える気などさらさらない。
それがこのパラグラフだけでも充分にわかる。
一方、同じ煙草会社である外資系のフィリップモリスのサイトによれば、
また喫煙には依存性があり、やめることは極めて困難な場合があります。 これが、世界中の主要な医療機関および科学機関の見解です。 また、これらはフィリップ モリス インターナショナル(PMI)の見解でもあります。
この二社が売ってるのは、同じ商材だ。(信じられる?)
そんでもって、僕らはその商材に中毒になってる。
それもやめるのに悶絶するような禁断症状を味わう、深い中毒だ。「やめることが極めて困難」なのを僕らは体感している。どちらの会社のほうが真摯に僕らの気持ちに寄り添ってるのかは、この文章を見るだけでも明らかだ。そうじゃない? しかもフィリップモリスはこのような内容の警告を、トップページから1クリックの場所に置いてある。
でもJTは「依存性は弱い」と繰り返してあるだけの文章を、トップページから奥深く、五重の箱の内側に隠してある。
この文章と、その扱いを知ったときに、僕はJTが嫌いになった。
セコイ。セコすぎる。
フィリップモリスの正々堂々とした態度はむしろ清々しいほどだ。
JTって、セコいんだよ。だから嫌いなんだ。
このJTの依存性説明ページはこうつづく。(下線・太字化は僕が加えた)
ある物質を摂取したいという欲求を強く抱いている状態。
精神依存
たばこ(ニコチン)の精神依存性は、他の物質例えばコカインやアルコールに比べると弱いことが知られています。身体が物質の作用に適応した結果、物質が体内からなくなっていくと退薬症候(いわゆる禁断症状)が出る状態。身体依存
たばこ(ニコチン)の身体依存性は極めて弱く、ヘロインやアルコールのように激しい身体的苦痛を伴う症状はみられません。
ギリギリだ。
ギリギリ、バレちゃってる。
「なんとかレトリックを駆使して、ニコチンの依存性の危険度を低く見せたいんです」という努力のあとが、バレちゃってる。
これはもう書き手の技術の問題じゃない。
どれだけ穴掘りがうまい人を雇っても、月を地中に埋め隠すことができないのと同じことだ。それくらい明白な危険は、どんな文章によっても隠せない。
アルコールはこういう場合に例に持ち出しやすいんだろうな。
煙草と同じぐらい、僕らの周囲にあふれてるしね。
でもアルコールは依存症になるのに時間がかかるし、いったん中毒者になった場合のアルコール依存症がどれくらい深刻なのか、一般の日本人には浸透していない。(日本のアルコール依存症患者数は世界的に見ても少ない)だから「アルコールと比べても」と比較されるとずいぶん危険度が穏やかに感じてしまう。
むしろJTの言うように、「コカイン」と「ヘロイン」とならべられるほど、アルコール依存症は深刻なんだと僕らは知った方がいい。
そして、「煙草は、これに比べたら依存性が低いんだ」などと主張する対象に「コカイン」や「ヘロイン」をならべている不自然に、僕らは愕然とするべきだ。
しかも、なんなら依存性はそれ以上なんだ。
依存性
使用人口に対する依存症になった人の割合[要ページ番号][2](1999年)
依存薬物 依存 タバコ 32% ヘロイン 23% コカイン 17% アルコール 15% 抗不安剤(鎮痛剤や睡眠剤を含む) 9% 大麻 9% アメリカ国立薬物乱用研究所(NIDA)の評価[3](1994年) 最大:6 最小:1
依存薬物 依存性 禁断性 耐性 切望感 陶酔性 ニコチン 6 4 5 3 2 ヘロイン 5 5 6 5 5 コカイン 4 3 3 6 4 アルコール 3 6 4 4 6 カフェイン 2 2 2 1 1 大麻 1 1 1 2 3
JTが嘘をついているとは言わない。
「そういう研究結果もある」
と言われれば、まぁそのとおりだしね。
でも、僕が味わっているニコチンの禁断症状はほんものだし、それはJTが主張するところの「弱い依存性」とはまったく違う。
そしてもちろん、僕は嘘をついていない。
禁煙15日目。効果を数字でみてみよう。
煙草を吸っていたときは、
目覚ましが鳴ってもなかなか起きられなかった。
一度では起きられなくて、スヌーズ機能に頼ってた。というかスヌーズ機能ありきの目覚ましだった。アラームが鳴って、しばらくしてようやく気がついて、腕を伸ばしてアラームを止め、また五分後に目覚ましが鳴るまで眠りに戻ろうとする。そんなことを二三度つづけて、僕は毎日なにかをあきらめるようにして、ようやく目覚めてた。
その目覚めは、ひどく不快な目覚めだった。
これから始まる一日に、なんの期待もできなような目覚め。
「自分が子供だったころ、目覚めはこんなに不快なものだっただろうか」
そんなことさえ疑問に思わなかった。僕はもう大人だったし、大人は疲れているものだと思ってた。なにより、不快な目覚めがあまりにも習慣化されすぎていて、その異様な状況をおかしいと思うことさえなくなってた。
でも、やっぱりそれは、異様な状況だった。
だって、煙草をやめてからは、嘘みたいに目覚めが良くなったんだから。
正直なところ、僕は決戦に臨んでからいちどもスヌーズ機能を使ってない。一発で目が覚めるし、その目覚めはこれから始まる一日が楽しみに感じるような、快適な目覚めだ。僕は子供のころ、毎朝あたらしい一日が始まるのが楽しみだった。そのことを思い出させるような目覚めだ。
とはいえ、僕は「健康目的で禁煙!」したとき、たいていは二週間以内で挫折してた。健康面で禁煙の即効性のある効果は求めづらい。これだけ目覚めが良くなっても、やっぱりそれは「体感」でしかなく、「気のせいだ」「プラシーボだ」と思ってしまえば自分でも否定できなくなる。
ひどい禁断症状が襲ってきたときに「体感」だけを武器に戦うには、僕の意思は弱すぎた。
今思えばそれはウィザードタイプのJTの刺客なんだけど、その日の朝に最高の目覚めを体験しても、刺客に呪文を駆けられて混乱した僕は「禁煙しても、そこまで体に変化ないな」などと事実と反することを考え出して、結果喫煙衝動に対抗できなくなる。
禁煙によって得られる健康的な効果を、ひねくれた大人である僕が心も頭も納得するためには「体感」と「数字」の両方で理解するしかない。
そのために、今回僕は決戦に臨むに当たって、活動量計を身につけて生活してる。
煙草をやめる前、やめた後、の比較ができるように禁煙前からしばらくの間自分の生活リズムを計測していた。
この活動量計「UPシリーズ」は睡眠深度を4段階で測ってくれる。つまり、
覚醒 → レム睡眠 → 浅い眠り → 深い眠り
の4つだ。眠りの深度は右に行けば行くほど深くなる。
たとえば同じ8時間の眠りだとしても、その8時間のなかで、どの種類の眠りの割合が多いかで、眠りの質ががらりと変わる。8時間眠っても、途中何度も覚醒していたり、レム睡眠の時間ばかりだったとしたら、その眠りはいたって表層的な眠りでしかない。
じゃあ、実際に僕の眠りの質は、禁煙前と禁煙後でどのように変化しただろうか?
代表的な眠りのグラフはこんなかんじだ。
【禁煙前】
睡眠時間は左から右に流れてる。
オレンジ色は、覚醒してる時間。
水色は、レム睡眠。
青は、浅い眠り。
濃い青は、熟睡。
このグラフで特徴的なのは、僕は夜眠っているときにも途中で何度か目覚めていることだ。実際に目覚めてしまった時もあるし、目覚めた記憶がないときもある。そのへんはデバイスデータの正確度がまだ甘いのかもしれない。でもいずれにせよ、オレンジ色が示されている回数が多く、長いほど、僕の睡眠が不安定で浅いものとなっていることは間違いないだろう。
では、決戦に臨んでからの僕の睡眠はどうだろう?
【禁煙後】
これはもう明らかな変化だ。
僕は睡眠中の覚醒回数と時間が圧倒的に少なく短くなった。
途中で覚醒することなく、僕の眠りは安定してる。
加えて、熟睡の時間が長くなってる。
煙草をやめてから、毎朝快適に目覚められるはずだ。
気のせいなんかじゃなくて、実際に眠りの質が向上してるんだから。
おかげさまで、というべきだろうけど、僕の睡眠時間は二週間前より平均して30分くらい短くなってる。でも目覚めは快適で、この一週間は集中力も増してきてる。
なんどもいうけど、僕の禁煙の目的は時間の創出だ。
一日30分節約するっていうのは、一年で7日間(活動時間でいえば11日間)も余暇が増えるってことだ。
煙草をやめただけで38日分も余暇が増えてるわけで、それとあわせたら50日分の余暇になる。
50日分!!!
なにするその50日で。映画だってゲームだって旅行だって運動だって、なんだってできる。その50日を手に入れるために必要なことは、煙草をやめるだけなんだ。
逆に言えば、僕がその50日を失っていた理由はひとつ。
僕がニコチン依存症であり、ニコチン中毒だったからだ。
ニコチン中毒者の僕は、ニコチンを求めるために煙草会社にお金を払い、政府に税金を払い、健康を害して、時間を失ってた。
僕はこの悪夢を絶つ。人生を取り戻す。
決戦を斬り抜ける。JTの刺客を殲滅する。
禁煙14日目。二週間目の効果と、煙草会社のご意見。
禁煙14日目。2週間目。
僕は決戦に臨んで、ようやくこの丘に旗を立てた。
振り返ってみれば、僕が歩いてきた場所に、骸(むくろ)がえんえんとにつづいている。JTの刺客の骸だ。さんざん倒してきたからね。決戦なんだ、仕方がない。
僕は決戦に臨むまで、1日10本の煙草を吸ってた。
ここまでくるのに140本の煙草を吸わなかったことになる。
でも「吸いたい」と思った衝動は140回では収まらない。決戦当初の3日間はそれこそ蜂の大群のようになってJTの刺客が襲いかかってきた。それをボロボロになりながら、ようやく斬り抜けた。圧倒的な力でねじ伏せようとするウォリアータイプ、呪文を唱えて僕を混乱させるウィザードタイプ、こっそりと近づいて気づかないうちに仕留めようとするアサシンタイプ。それぞれ特徴のある刺客たちを相手にし、死にものぐるいで斬り合って、どうにかようやくここまできた。
僕の来た道には刺客たちの骸が積み上がっている。
そうして手に入れたものはなんだろう?
つまり、禁煙を2週間したその効果はいかほどのものだろう?
これはね、すごいよやっぱり。
そもそも僕の目的は、煙草をやめることによって「時間を作る」ことだった。
健康になりたいとか体臭を押さえたいとかは、あまり考えていなかったし、過去の禁煙経験(最長3ヶ月)もし健康を目的としていたところでその成果を「うわー、ちょー健康になれたわ−!」と自覚できるには長い時間がかかることを知っていた。
だから「健康」を目的にすることはやめてた。
「健康」を目的にしてしまうと、成果が出るまで長くなる。
そして、そんなに早く成果を実感できるわけがないのに、「まだ成果が出ない」と毎日不満に思っているようでは、この決戦は戦い抜けない。だいたい何年煙草を吸ってたと思ってるんだ。たかだか数日煙草をやめたくらいで、体に超回復を求めるのは自分勝手すぎるってもんだ。健康はあくまで、今後あとからついてくるオマケだ。
僕の第一の目的は「時間を作る」ことだった。
そして、2週間経った。
その成果はきちんと出てる。
実際に「1日100分」煙草にあてていた時間が、そっくりとなくなったわけだ。
もちろん初めの3日間はJTの刺客と死にものぐるいで斬り合ってたから、つまり禁断症状と闘っていたから、100分の時間はすべてその死闘にあてていた。「時間が増えた」という実感はなかった。
でも、一週間を過ぎたあたりから、JTの刺客の攻勢が弱まった。
そうすると、戦いに割く時間も減ってくる。
つまり、当初期待していたような「自由な時間」が増えてくる。
決戦に臨むときに、煙草をやめることで得られた100分の時間をどのように使うか、僕はあらかじめ考えていた。それをすこしずつ実践してみた。
日中、煙草をすっていた10分の細切れの時間には、スマホでマンガを読むようになった。それまでは、気になっていたマンガを読む時間も僕にはなかった。でも煙草をやめて、ようやく「キングダム」を読みはじめた。やっぱり、べらぼうに面白い。
夕方は30分、ウォーキングすることからはじめた。一昨日からは、それをジョギングに変えた。毎日、運動で汗をかくようになった。そんなこと、学生時代以来経験したことのないことだった。
これらは、煙草をやめた時間でやってることだ。
事実として、僕は煙草をやめたことで時間が増えた。その時間で、いままでやりたくてもできなかったことができてる。
しかも、なんだけど。
さっきは自分で「健康はオマケ」だと言ってたくせに、たかが二週間で体調の変化もしっかりと感じる。いやね、正直なところ、以前の禁煙時にもうっすらと「すこしずつ健康になってる!」という体感はあったんだ。
でも今回は体感だけじゃない。
僕はいま、活動量計を身につけて生活してる。
活動量計の睡眠深度データからみても、僕の眠りの質がすこしずつ向上しているのは明らかだ。目覚めが爽快だと思うのは、気のせいじゃなかった。
これは脱ニコチンの成果 + ウォーキングの成果もあるかもしれない。いずれにせよ「煙草をやめた」ことで得られた結果には違いない。
煙草をやめて、ほんとうによかった。
この決戦、途中で負けるわけにはいかない。
さて、今日は決戦2週間目だから、ちょっと長く書くよ。
僕は煙草会社のことをものすごく悪く言う。
こんなに依存性のつよい、やめるのに激しい禁断症状と戦わなければならない薬物を売っ金を稼いでるんだ。悪く言って当然だと思う。
けれど、煙草会社だって言い分はあるはずだ。
そこで公平を期するために、僕は煙草会社の言い分もきちんときこうと思う。彼らはこの薬物の依存性について、なんて言ってるんだろう?
というわけで、世界最大の煙草会社フィリップモリスのwebサイトを見てみよう。
喫煙と健康
喫煙は、心血管疾患 (心臓病)、肺がん、慢性閉塞性肺疾患(肺気腫や慢性気管支炎)など、数多くの深刻な疾病を引き起こします。 喫煙者がこれらの疾病のいずれかにかかる可能性は、非喫煙者に比べてはるかに高くなります。 また喫煙には依存性があり、やめることは極めて困難な場合があります。 これが、世界中の主要な医療機関および科学機関の見解です。 また、これらはフィリップ モリス インターナショナル(PMI)の見解でもあります。
心血管疾患(心臓病)
- 世界保健機関 (WHO)はそのウェブサイト上で、「たばこの使用は心血管疾患の重大な危険因子であり、 喫煙人口が減れば心臓発作と脳卒中が減るであろう」と述べています。
- 米国心臓協会 はそのウェブサイト上で、「喫煙は血圧を上昇させ、運動に対する耐久力を低下させ、また、血液凝固傾向の高まりを招く」と述べています。
- 英国心臓病支援基金 はそのウェブサイト上で、「紙巻たばこの煙に含まれる一酸化炭素は、血液が心臓および身体に運ぶ酸素量を減少させる」と述べています。
肺がんおよびその他のがん
- WHO はそのウェブサイト上で、「たばこを吸うことで肺がんになるリスクが増大するという事実は、最もよく知られた人体へのたばこの悪影響の一つである。 しかし、喫煙者、非喫煙者ともに、あまり知られていないかもしれないのが、たばこの使用は肺ばかりでなく身体のさまざまな部位にがんができるリスクを増大するということである」と述べています。
- WHO はまた、「喫煙者が肺がんにかかるリスクは、平均で5倍から10倍に増える」と述べています。
慢性閉塞性肺疾患(肺気腫や慢性気管支炎)
けっこう意外だ。
彼らは、かなり率直に、煙草の危険性を認めてる。
というか、なにも隠してない。その点は素晴らしいと思う。
そしてこのページは、トップページから1クリックでたどり着く場所にある。彼らは煙草の危険性を隠蔽しようとは、つゆほども思ってない。
でもそれだけに、確信犯としてのプライドを感じる。
とくに冒頭序文の結句には、貫禄というか、威風堂々とした迫力がある。
また喫煙には依存性があり、やめることは極めて困難な場合があります。 これが、世界中の主要な医療機関および科学機関の見解です。 また、これらはフィリップ モリス インターナショナル(PMI)の見解でもあります。
「私たちは逃げも隠れもしない。煙草には依存性がある。そしてその中毒性は極めて高い。依存から脱するのは決して簡単なことではないだろう。ただ、それでも煙草を吸うのなら、後はあなたの責任だ」
そう言われている気分になる。もっと言えば、
「それでも、あなたは煙草を買うんだろう?」
と見下ろされている気さえする。
こういうのを知ると、なぜ煙草が合法なのか、ということを僕は考えてしまう。世界中の医療・科学機関が危険を訴えていて、売り手も危険を警告している商品だ。ほんとうなら、もっと強烈に取り締まられてもおかしくないんじゃないだろうか?
それなのに、どうして。
禁煙13日目。おはよう、煙草。
毎朝起きるとき、まず最初に煙草のことを考える。
いまだに考える。
目覚ましが鳴り、
ベッドから右手を伸ばしてそれを止め、
「起きなくちゃ」と思って天井を見上げる。
目覚めはすこぶるいい。頭の中のもやが晴れていくスピードは喫煙していたときとくらべて何倍も早い。朝からエネルギーに満ちてるのを感じる。これから新しい一日がはじまる。
そのときに煙草のことを考える。
でも、吸いたいとかじゃない。
禁煙をはじめてした頃(失敗していた頃)は、毎朝起きたときに煙草のことを考えてしまうことで、ずいぶんと落ち込んでた。「僕はまだ煙草のことを忘れてないのか」とがっかりしてた。いったいいつまで続くんだと。
でも今回の決戦では、逆に安心できてる。
「煙草のことを考えるけど、吸いたいわけじゃない」
というのは、いってみれば煙草が自分から離れて行っている後ろ姿を見ているのと一緒なのだ。もし「吸いたい」と思わないなら、どれくらい煙草が脳裏に浮かんだって、僕らはおおいに安心していい。
別の言い方をすれば、僕らはJTの刺客の先回りをして、奴が気がつかないうちに背後をとっているのと同じだ。奴の背後をとっている限り、僕らが刺されることはない。
一番危ないのは、僕らが油断をして、知らないうちに奴らに背後をとられているときだけだ。
煙草のことが脳裏に浮かんでいるのは、僕らが油断をしていないからだ。
決戦13日目。今日だって、負ける気がしないぜ。
禁煙12日目。夢で吸うもの。
JTの刺客はまだまだ諦めない。
僕をニコチンの中毒に引き戻そうと、隙を狙っては襲ってくる。
今日、僕は煙草を吸う夢を見た。
もちろん、それは禁煙中によくあることだし、JTの刺客の仕業なんだけれど、やっぱりどこかで傷つく。
いつもなら。
でも今日の夢はちょっと変わってた。
僕は禁煙4日目だった。
そしてなぜか、立て巻き貝が目の前にあった。すごく葉巻っぽい感じの立て巻き貝。でもそれをみた僕は「貝」でも「葉巻」でもなく「あ、たばこだ」と思って、自然と口に持って行って吸い込んだ。
すると不思議なことに、立て巻き貝から煙が肺に入ってきて、はき出して、そこで
「あぁ、禁煙も4日で失敗しちゃったな」
と後悔する夢だった。
なんじゃそりゃ。
目が覚めてしばらく夢のことは忘れていたんだけど、しばらくして思い出した。思い出してちょっと笑ってしまった。4日目どころかもう12日目だし、葉巻なんてほとんど吸ったことないし、ていうか貝を吸い込んで煙が出るってどんな世界だよ、って。
チャンピックスを飲んでいるときは、こういう変な夢を毎晩見ていたのを思い出した。最終決戦に臨むと、いろいろな過去の出来事がよみがえるのかもしれない、とか、そんなわけないか。
集中力が戻りつつあるのがすごく心強い。
煙草のことをまだまだ考える時間はあるけど、気になればなるほど、むしろアサシンタイプに不用意に斬りかかられる心配がないので、安心感さえ感じる。
ぜったいに負けねぇぞ、JTの刺客。決戦を制するのは僕だ。
禁煙11日目。吸いたい気持ちを比べてみると。
僕が初めて禁煙を経験したとき。
一週間を過ぎても、煙草を吸いたいって気持ちがなくならないことについて、ものすごく不安になった。「この気持ちはいったいいつまでつづくんだろう」。
禁煙開始3日目までの喫煙欲求が、
「タバコ吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい、こんなことしてる意味なんてあるのか? ふざけんな!」
という感じなのに対して、一週間以降は
「すいたい」
くらいのもの。ちょう淡泊。
とはいえ、これだって波がある。明日には
「吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい吸いたい」
レベルの波状攻撃を受けるかもしれない。
でも決して、初めの3日間を超えない。もうウォリアータイプのJTの刺客はその最大勢力を失った。僕の勝ちだ。次の戦いにもぜったい負けない。
とか書いた6時間後に、ウォリアータイプのJTの刺客による波状攻撃。「吸いたい」と書かれた旗を背中に立てた兵士たちが、丘の上からいっせいに駆け下りてくる。こちらに向かって突進してくる。
「お前を中毒から逃がすものか!」
と血眼になって僕に向かってくる。僕は刀を抜いて、右に左に斬りまくる。
「倒れてたまるか。負けてたまるか。これは決戦なんだ。一歩も引けないんだ。僕にかなわないことを徹底的に教えてやる」
ふぅ。
乗り越えるのに五分はかかった。
数十秒我慢すれば「吸いたい」という気持ちは消えていく、という風説を僕は信じてない。信じてないと言うより、数十秒我慢しても喫煙衝動が過ぎ去らないことがザラにあるので、僕にその説は当てはまらない。
喫煙衝動は何分もつづく。
でもその間、ずっとJTが送り込んでくる刺客と斬り結ぶ想像をする。すると不思議と力がわいてくる。絶対に負けるものかという気分になる。戦っているのは僕だけじゃない。おそらく日本中のいたるところで、仲間が孤独に戦ってる。なかには倒れていく禁煙者もいるだろう。でも、倒れていない仲間もいる。彼らはみんなこれが「決戦だ」と腹をくくっている連中だ。
「やるしかねぇだろ、生き延びたいなら」
そう、やるしかないんだ。
倒れてたまるか。