まずは「禁煙決戦の決意」と、「禁煙決戦の理由」から。なにごとも最初の決意が肝心です。




禁煙25日目。悪いのは彼じゃない。

JT兵の姿は見えず。

ここしばらく、ずいぶんと攻め込まれていたからね。こんな日があってもいいし、こんな日がつづくといい。そしてまもなく、あと一週間もすれば、きっとこんな日だらけになる。

 

今日、喫茶店で女の子が

「本人には言えないけど、彼氏の煙草がすごく嫌」

と女友達に話してた。

 

僕もずっと前、当時つきあっていた人に直接言われたことがある。

「煙草の臭いが嫌い」

二人の関係が悪くなると

「あっち行って吸って」

「なんで気をつかってくれないわけ?」

と言葉にも遠慮がなくなってくる。

 

一方、喫煙者の僕だって、頭にくる。

「自分の部屋だ、吸うのは勝手だろ」

「ここは喫煙席だ、文句ないだろ」

「嫌なら自分が出ていけばいいじゃんか」

と思ってた。

 

ノンスモーカーと交際したことのある喫煙者なら、この種の言い争いをいちどは経験したことがあると思う。

 

あるいは交際相手に限らず、煙草を吸っていない人から、不快な態度をとられたことは必ずあると思う。「迷惑だ」「やめろ」「向こう行け」と言葉で、視線で、僕たちは少なからず邪魔者扱いされてきた。

 

「僕たち愛煙家は、差別されてる」

「むしろ差別をする奴が、最低なんだ」

 

僕は本気でそう信じてた。

 

……でも、ちょっと待って、ビデオ止めて(ビデオ?)。

 

当時の僕は本気でそう信じていたけど。

ニコチン中毒から離脱しつつあるいま、

僕はかつて自分が信じていたことに疑問を覚える。

 

悪いのは非喫煙者に気を使えない彼なのかな。

あるいは喫煙者を差別する彼女なのかな。

というか、

喫煙者は、ほんとうに差別されているのかな?

 

この争いは、なにかがおかしい。

 

なぜなら喫煙者とは「ニコチン中毒者」のことだからだ。

 だとしたら、

「喫煙者」と「非喫煙者」の争いは、すべて幻想じゃないか。

 

だってそれは

「中毒者」と「非中毒者」の争いなんだから。

 

本来、僕らは「中毒者」「非中毒者」で争う存在ではなく、

「中毒」自体を根絶するために

お互いに手を取るべき存在だ。

 

ほんとうの争いの原因は「中毒」にある。

もし争うのだとしたら、

喫煙者をニコチン中毒にしている奴じゃないか。

 

彼はニコチン中毒にされた被害者であり、

彼女は被害者の恋人であり、

この争いの犯人は、別にいる。

 

煙草会社だ。

 

たとえばJTは

「喫煙者と非喫煙者がそれぞれ快適に過ごせる毎日を」

みたいなコンセプトで分煙化をすすめたり、

マナーを守る啓蒙広告うっている(ように見える)けど、

そんなの、本質から目をそらすためのお芝居にしか見えない。

 

だって本質は、煙草そのものにあるんだから。

 

発がん性物質が含まれている上に、

おそろしく強力な中毒性がある麻薬。

 

いちど中毒になってしまったら、

使用中止には激しい禁断症状がともない、

結果、使用中止を断念した中毒者たちは

発がん性物質を取り込みつづけることになる麻薬。

 

それが煙草なんだ。

 

そんなものを売っておいて、

「喫煙者と非喫煙者がそれぞれ快適に過ごせる毎日を」

はないだろう。

 

分煙化とかじゃない。

マナーとかじゃない。

 

僕たちは煙草そのものがほんとうに社会に必要なのかどうかを考えよう。

 

だれが自分の子供に

「煙草を吸う大人になって欲しい」

と願うだろう?

 

そう思うなら、なおさらだ。