禁煙1日目。「禁煙セラピー」に書いてないこと。
負けねぇぞ、JTの刺客。
今日から、禁煙を始めた。
それも、自分なりの最終奥義を駆使して。
これで勝つ。成功させる。
今回を最後の戦いにしようと思っているし、そのための決意を記した決戦記を書こうと思う。なにしろ、今回は僕が多くの失敗の後でようやくたどり着いた最終奥義を手にしてる。禁煙セラピーを何度も読んで(あれは素晴らしい本だ)、それでも禁煙に失敗してしまった自分が、足りなかったピースをようやく手にした。発見した。
今回の煙草との戦いは、これまでの禁煙知識と技術をすべて注ぎ込む総力決戦であると同時に、その奥義を使って禁煙するはじめての試みでもある。書いてネットにアップすれば、今後禁煙を志す知らない誰かの励みにもなるかもしれない。知らない誰かの禁煙ブログが自分の励みになったのと同じように。
それがどのような奥義なのか説明する前に、まず僕自身のことを説明したい。
はじめに言っておくと、僕の喫煙歴は15年以上だ。
ずいぶんと長い時間だ。
ほとんど「歴史」と呼べるような長い時間だ。
楽しいときにも、辛いときにも、煙草を吸ってた。女の子にこっぴどくふられたときにも、煙草を吸ってた。仕事がうまくいって仲間と乾杯したときにも、煙草を吸ってた。
キスをした後にも、悔し涙を流しながらも。いつも右手の指には火のついた煙草が挟まっていた。
煙草との思い出はたくさんある。
初期はマルボロを吸っていた。セブンスターも、マイルドセブンも、キャメルもキャスターも吸ってきた。1日1箱は吸っていたから、そこそこの中毒者だと思う。ちいさな子供が無邪気に作った固結びみたいに、きつくタイトに、僕と煙草は縛られてた。いつも指先には煙のにおいが染みついていた。最終的には、つまり昨日までは1ミリの煙草を1日10本くらい吸っていた。
僕はこれまでに何度も禁煙に挑戦してきた。
いいかえれば、何度も失敗してきた。
もちろん片手じゃきかない回数だ。
もしこの決戦記を読んでいる僕の知らない誰かが(つまりあなたが)、なんども禁煙に失敗したことで自信を失っているのなら、それでもまだ諦めずに次こそは禁煙を成功させようと思っているのなら、知っていてほしい。
あなたはひとりじゃない。僕らは仲間だ。
僕らは同じ相手と戦っている。
そして、今回を最後の戦いにしようと思っている。僕らは同志だ。
僕らは決して諦めない。
僕は歴戦の失敗者だ。
無残に、みじめに、失敗してきた。
失敗にかけては右に出るものはいないと自負してる(誇れたものじゃないな)。でも、負け惜しみじゃないけど、僕はただ負けただけなじゃい。
僕は学んできた。
禁煙に失敗することで傷つき、自信を失い、自分を嫌いになりながら、それでもその失敗を研究して、次に生かせる発見がどこかにないか学んできた。経験がある人はわかると思う。楽な作業じゃない。どちらかといえば避けて通りたい、苦痛でしかない時間だ。自分のだめなところを、かっこわるいところを研究するなんてさ。うんざりする。「また僕は禁煙に失敗したのか」からはじまる気の滅入る反省タイムだ。
僕は禁煙を一発で成功させる天才的な禁煙戦士がいるのを知ってる(その多くはなぜか女性だ)。そういう人間の存在は、よけいに僕を落ち込ませたりする。どうしても比較してしまうから。
でも最近はこう思うようになった。僕はそのような天才型の戦士ではないし、努力型で、トライアル&エラーを繰り返してようやく自分の戦い方を身につけていくタイプの禁煙アタッカーなのだ。たぶんね。だから時間はかかる。けれど間違いなくたどり着く。諦めさえしなければ。
いずれにせよ、僕は初めて禁煙したときよりも格段に禁煙に対する知識を得た。経験も得た。そのようにして、僕はようやく自分がなぜ禁煙に失敗してしまうのかという自分なりの結論に至った。あるいは、成功に必要なのはなんだったのかに気がついた。それがさっき書いた「最終奥義」だ。
さきにその秘密を言ってしまえば「煙の実体化」だ。
もうすこし説明が要る。
これまであらゆる手段をためしてきた。
ニコチンガム? オーケー。
ニコチンパッド? 懐かしいね。
チャンピックス? 悪くない手だ。
でもやっぱり僕の聖書は「禁煙セラピー」だ。
まだ読んでいない禁煙志望者は必ず読むべきだ。最低3回は読むべきだ。あの本の偉大さは、
「吸いたい衝動」は心の欲求でなく、脳のニコチン禁断症状。
であることを、誰にもわかりやすい言葉で、腹の底から理解させてくれることだ。煙草を「美味しい」と思うのは本当に美味しいからではなく、「禁断症状が緩和される」からに過ぎない。頭ではわかっていることを、ちゃんと腹まで落としてくれる。
この本で書かれていることはすべて正しい、すごいよ、アレン・カー。
僕は今回の決戦にあらゆる禁煙補助剤を使わない。
禁煙セラピーにそう書かれていた。
いや、これは正確じゃないな。実際になんども禁煙して、すべての補助剤をトライしているからわかるけれど、結局のところ永遠につづくトンネルのような禁断症状から短期間で抜け出すためには、補助剤を一切使わない方法が一番なのだ。これは実感として間違いない。
最短コース、一直線。
それを辿りたいなら補助剤ナシの一択だ。
そのかわり、禁断症状は地獄の拷問のようにひどくなる。
そうすると、問題はどのようにして、地獄の拷問のようなあの禁断症状を抜けきるかにかかってくる。補助剤で緩和されることのない、圧倒的な喫煙欲求。しかもこの喫煙欲求は、細かく分けると2種類ある。これも「禁煙セラピー」に書かれてあった。曰く「ニコチンの禁断症状」「生活習慣トリガー」。
……でも、僕はここで立ち止まる。
だから「禁煙セラピー」を読んでさえ、禁煙に失敗したのかもしれない。
なんで立ち止まったのか。
それは、「禁断症状」と「生活習慣トリガー」の違いがわからないからだ。僕の身に降りかかってくるのは「吸いたい」という欲求だけで、その原因がどちらであれ、「吸いたい」ことには変わりがない。「吸いたい」気持ちの持って行きどころが僕にはなかった。
それに、もうひとつ。
「1本おばけ」「吸魔」なる言葉も、僕にはいまひとつイメージがつかない。この言葉の定義が、イメージが、立体的な血肉を持って自分の内側に取り込めている人たちは、きっと禁煙が成功しているのだと思う。
でも僕は「1本おばけ? なんだそれ?」と思う。
「1本おばけ」「睡魔」にはどんな目的があって、なぜ自分にそこまで煙草を吸わせたいのか、僕にはてんで理解できない。どんな奴らなんだよ「1本おばけ」。なんなんだよ、お前らいったい。
僕は理解できない。
だから「吸いたい!」と思うときに「これは1本おばけだ!」とイコールで結びつかない。結びつかないから戦えない。
つまり、僕は「吸いたい」と思うとき、何と戦っているのか具体的にイメージがつかなかった。そのために、その「欲求」を外部から自分を損なうためにやって来た「敵」だと思うことができなかった。
僕の言う「煙の実体化」とはそういうことだ。
でも、僕は度重なる失敗の先に、ようやく煙に実体を与えた。
よく考えて欲しい。
煙草は百害あって一利もない。
10歳の子供が煙草を吸っていたら、誰だって止めるだろう。
それがダイレクトに健康に被害を与えることを知ってるからだ。
誰だって、知ってる。
ニコチンとタール、そのほかの化学物質。
禁煙1日目の僕らは、その禁断症状に、これほどまで苦しめられてる。
頭痛、不安、不機嫌、集中力の欠如。
煙草はドラッグだ。
ヘロインなみのスピードで僕らを依存症にする。
これが合法なのは、正直おかしいと、みんな気がついた方がいい。
(だって、やめるのにこんなに肉体的精神的に苦しむのって、おかしくない?)
もちろん、煙草に手を出してしまった自分がバカだとつくづく思う。
やめられない自分が情けない。
でも、もし「自分の子供には煙草を吸って欲しくない」と思うなら、このドラッグ(きちんとそう呼ぼう)が駅の売店で売られていることがおかしいってことも、ちゃんと僕らは知っておくべきだ。
煙の正体は、煙草会社だ。
それは「禁煙セラピー」にも書いてあった。
でも煙草会社の正体は?
JTの株主構成をみてみればわかる。
より具体的に、煙の正体がわかる。
彼らが、煙草を売っている。
まぁ、早い話が政府と、国内外の金融機関。
これを知って、僕は煙草のイメージががらっと変わった。
もっといえば、煙が急に「実体化」した。
煙の実体は、あまりに巨大すぎる。
煙草会社の株主たち。
彼らが「JT」というおそろいの戦闘服を着て、
僕らに「たばこを吸わせよう」とものすごい勢いで攻めてくる。
「吸いたい!」って気持ちは「1本おばけ」とか「吸魔」とかいう曖昧模糊としたイメージじゃない。
「吸いたい!」って気持ちは「JTの刺客」だ。
僕らは自分一人で、この圧倒的に不利な戦いを切り抜けなくちゃいけない。スパイ映画よろしく、徹底的に個人で、完全なる孤独で。
僕らはたった一人っきりで、つぎからつぎへとやってくる「JTの刺客」を切り捨てて、一騎当千、この戦場を駆け抜けなければならない。これは最終決戦なんだ。
最終奥義「煙の実体化」で姿を現したのは「JTの刺客」。
そして相手の正体が見えたことで、僕らは戦いやすくなる。それどころか決意は固まり、僕らの戦闘力も大幅に向上する。なぜなら禁煙の戦いの戦闘力とは「煙草をやめるという決意」に他ならないのだから。
「吸いたい」と思った瞬間に「来たな、JTの刺客!」と思えば、喫煙欲求を具体化できる。なんなら戦うべき相手のHPすら見える。「子供たちのために煙草を違法にします」という政治家が現れたら投票する決意までできる。だって、健康を蝕むこのドラッグは、使用を止めるのにこれほどまでに苦しむのだから。
第一日目の決戦記、長くなってしまった。
でも、最初に僕の戦い方を記す必要があった。
これは個人的な決戦記だ。もしいつか、僕の知らない誰かの禁煙の励みになってくれればいいと思う。それでもやっぱり、これは僕のための文章だ。僕の励みになって欲しい。JTの刺客に切り負けそうになったとき、ギリギリで膝をつかないための文章だ。
もういちど言う、負けねぇぞJTの刺客。