まずは「禁煙決戦の決意」と、「禁煙決戦の理由」から。なにごとも最初の決意が肝心です。




禁煙一ヶ月 31日目。データで見る変化。

禁煙1ヶ月!

 

おめでとうございます、ありがとうございます。

 

1ヶ月目にたどり着くのにしてきた苦労は、

これまでに書いてきたからいいとして、

1ヶ月で変わった自分の変化をあらためて書いておこうと思う。

 

  • 睡眠 → より深く。30分短縮/1日
  • 体重 → 1キロ増
  • お金 → 約1万円増
  • 時間 → 1時間増/1日
  • 集中力 → かなり増加

 

・睡眠 → より深く。30分短縮/1日

それまで、眠っている最中に何度か起きていたことを考えると、煙草をやめてからの睡眠の質の変化はものすごく明確。寝ている最中に全然起きなくなった。たとえば、こんなかんじ。

 

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禁煙前と比べるとはっきりと違うのがわかる。

 

眠りが深くなったぶん、

短い時間でも頭がすっきりしている。

そのおかげで、1日30分くらい増えてる。

それに目覚めもびっくりするくらいにいい。

毎朝「1日が楽しみ」に起き上がると言っても過言じゃない。

 

 

・体重 → 1キロ増

なんせご飯が美味しいし、そのうえすごくお腹が減る。

イライラもあって、なにか食べていないと気が紛れない。

そんなわけで、体重が増えた。

でも1キロで収まっているなら、すごく満足。

 

でも、体重増加対策に口寂しいときは「するめ」を食べてるし、

ランニングだってはじめたから1キロで済んでるのだと思う。

 

イライラすることもだいぶ減ったし、

口寂しいと思うこともいまやそんなにないので、

このままランニングをつづけていけば、

体重は徐々に戻っていくと思う。

 

とにかく、ランニングが気持ちいい。

この気持ちよさをしれたのも、間接的にだけど、禁煙してよかったと思うこと。

 

 

  • お金 → 約1万円増

貯金箱に貯めてる。

本当はもうすこし少ないはずなんだけれども、端数が面倒くさくて多めに貯金してるから、きっと1万円くらいにはなってるはず。

3ヶ月で3万円貯まったら、温泉に行きたい。

 

  • 時間 → 1時間増/1日

理論上はもっと増えるはずなんだけど、まぁそれは理論上と言うより極論に近い数字だったから。でも確実に、時間は増えてる。

増えた時間で僕は禁煙決戦記を書いてる。またランニングもしてる。

禁煙決戦記が一段落ついたら、いよいよゲームやマンガ、映画、勉強にだって利用できる自由時間として使うつもり。

 

  • 集中力 → かなり増加

時間がもっと増えるはずだったのに、想像していたほど余暇が増えなかったのは他でもない、「集中力が増したから」。仕事でも遊びでも、休憩で中断することが減った。以前は休憩のたびにリセットされていたけれど、いま僕の集中力はらせん階段を上がっていくように、ぐんぐん高まっている気がする。

その結果、仕事にも遊びにも充実感が出るようになった。

煙草をやめると、人生を取り戻せる。

みんなに知って欲しいなぁ。。。

 

 

ひとまず1ヶ月。

 

これでいったん僕の決戦記録は終わり。

でも、もちろん闘いはまだまだ終わらない。

 

なんて言ったって、ここからはアサシンタイプのJTの刺客が現れる警戒ゾーン。

気を抜かず、勝ち抜いていこう。

いま、僕の体中には闘気が満ちてる。

 

一瞬だって、油断しないで次の1ヶ月を送ってみせる。

 

 

 

禁煙30日目

禁煙1ヶ月まで、あと1日。

 

よろこぶのは、明日にしよっと。

 

この数日、急激に「吸いたい」気持ちが減ってる。

JTの刺客がぜんぜんやってこない。

襲ってきても、片手で片づくような弱兵だ。

「もう煙草を吸うことはないと思う」

っていう直感がある。

 

でも、それはあくまで直感だ。

急に「吸いたくない」のあとには、

急に「吸いたい」が必ずやってくる。

 

季節は急には変わらない。

温かい日が増えてきても、

急に冷え込む日が現れる。

そうして徐々に、確実に、春になってく。

 

禁煙もその繰り返しで、

やがてどんどん「吸いたくない」の期間が増えてく。

確実に「吸いたくない」になるには、

まだまだ時間がかかるから、

僕はここで気を抜いちゃいけない。

 

でも、それでも明日は楽しみだな。

禁煙1ヶ月。誰がなんて言ったって、

僕はすごく頑張った。

 

禁煙29日目。見えてきた次のステージ。

禁煙1が月まで、あと2日。

 

禁煙欲求が0か? と訊かれれば答えはノー。

 

前は、「吸いたい」という気持ちは、

堅くて高い壁みたいに、

僕の行く手をふさいでた。

 

「こんな気持ち、どう乗り越えていいのかわからない」

 

と呆然としてた。

 

でも、いまやそんな壁はない。

 

「吸いたい」という気持ちは、

ちょっとした階段みたいなものだ。

 

「のぼるは面倒くさい」

 

とは思うけど、前みたいに乗り越えられるかどうか分からない不安はまったくない。そして日に日に、階段は短くなっていく。

 

あまりに低いわずかな段差は、気がつかないで歩いて行くように、そのうち僕は「吸いたい」という気持ちにすら気がつかずに毎日を送るようになる。

 

そのときに、ふといきなり現れる段差につまずかないことだけを意識すれば大丈夫。

 

今日も余裕で勝てる。

ただ、油断だけはするなよ自分。

 

 

禁煙28日目。「1本いかが?」がまた来た。

禁煙1ヶ月まであと3日。

 

煙草が吸いたい、と思うことがなかった1日。

 

僕が煙草をやめたことを知った友人(喫煙者)とあった。

 

「また禁煙してるの? いったいなんど目だよ。どうせまた吸うんだから、もうやめたら? ほら、いいよ吸って」

 

と煙草を出された。

 

「いいよ。今回はもう心底、煙草にうんざりしたんだ」」

 

そう言って、断った。

 

断るのに、びっくりするくらい苦労しなかった。

「まさか、吸わないよ」

とちょっと笑っちゃう感じ。

 

僕はつよくなった。

間違いなく、別の人間になりつつある。

 

でもこれがはじめの3日目だったら、と思うとゾッとする。

と思って振り返れば、3日目に僕は友人から煙草休憩に誘われてた。あれはほんとうにキツかった。乗り越えられたのは、意思の力は半分、残りは運のような気がする。

 

禁煙者に煙草をすすめるのはやっぱり良くないことだ。

 

ドラッグを断とうとしている人に、

ドラッグをすすめる人間がいたら、

「クズ」だと誰もが思うだろう。

 

ただ、煙草が麻薬だっていう認識がまだ広まっていないだけだ。

 

きっと100年後の世界では「煙草は麻薬」が常識になってる気がする。そして、そういう世界であればいいと思う。

 

 

禁煙27日目。勝って兜の緒を締めよ、ってね。

僕は毎日、勝ちつづけてる。

 

毎日「たばこ」という単語を思い出すし、

弱いながらも「吸いたい」という気持ち、

つまりJTが僕をニコチン中毒に引き戻すために送り込んでくる、「JTの刺客」が僕の心にやってくる。

 

でも、勝ちつづけてる。

 

喫煙所は目につくし、

路上で煙草を吸ってる人を見れば気になるし、

マンガや映画で煙草を吸ってるシーンがあればつばを飲む。

 

いつまでつづくのか、とうんざりする。

 

でも、負けないし、負ける気もしない。

煙草会社にとっては残念なことだけれども、

ほんとうに「吸いたい」という気持ちが、

日に日に弱くなってる。

 

一ヶ月を過ぎれば、

また次のステージに立つのを僕は知ってる。

またいっぺんに、加速する、煙草の記憶が離れてく。

 

それまであと4日。

気を抜かないように、気をつけなくちゃ。

禁煙26日目。「試しに1本」の原理。

巨大な喫煙欲求は襲ってこないけど、

地味にスネを蹴ってくるような、

いやらしい喫煙欲求がさっきから足下にからみついてる。

「試しに吸ってみたい」

という感情に近い。

ほんとしつこい奴らだな。もうすぐ1ヶ月経つというのに。

 

たぶん昨日、人の煙草と灰皿を片づけたからだと思う。

 

僕はこの決戦に臨むにあたって、

煙草にはもう触れないと心に決めているくらいだから、

灰皿だって触れるのにはどきどきしていた。

 

でもどうしても位置的に自分が片づけなくちゃいけなくて、

けっこう上等な作り笑顔をみせつつ、

さっと灰皿を片付けた。

「うわあ、煙草だ〜。こんなもの吸ってたのかぁ〜」

と思った。

その印象がまだ脳内のどこか残っているのだと思う。

 

今は「嫌いなもの」として僕は煙草を理解してるけど、僕の脳は十五年もの長い間「ニコチンを補充せよ」と命令を出し続けてた。

 

この二つは矛盾する。

 

心「ニコチンきらい」

脳「ニコチンを補充せよ」

 

だから

 

「嫌いなもの」を「補充せよ」

 ↓

「もう吸えなくなったか、試してみよう」

 

みたいな発想が生まれる。

 

こうやって正体がわかるだけで、ずいぶん心が楽になる。

 

今日も、負けない。

 

 

禁煙25日目。悪いのは彼じゃない。

JT兵の姿は見えず。

ここしばらく、ずいぶんと攻め込まれていたからね。こんな日があってもいいし、こんな日がつづくといい。そしてまもなく、あと一週間もすれば、きっとこんな日だらけになる。

 

今日、喫茶店で女の子が

「本人には言えないけど、彼氏の煙草がすごく嫌」

と女友達に話してた。

 

僕もずっと前、当時つきあっていた人に直接言われたことがある。

「煙草の臭いが嫌い」

二人の関係が悪くなると

「あっち行って吸って」

「なんで気をつかってくれないわけ?」

と言葉にも遠慮がなくなってくる。

 

一方、喫煙者の僕だって、頭にくる。

「自分の部屋だ、吸うのは勝手だろ」

「ここは喫煙席だ、文句ないだろ」

「嫌なら自分が出ていけばいいじゃんか」

と思ってた。

 

ノンスモーカーと交際したことのある喫煙者なら、この種の言い争いをいちどは経験したことがあると思う。

 

あるいは交際相手に限らず、煙草を吸っていない人から、不快な態度をとられたことは必ずあると思う。「迷惑だ」「やめろ」「向こう行け」と言葉で、視線で、僕たちは少なからず邪魔者扱いされてきた。

 

「僕たち愛煙家は、差別されてる」

「むしろ差別をする奴が、最低なんだ」

 

僕は本気でそう信じてた。

 

……でも、ちょっと待って、ビデオ止めて(ビデオ?)。

 

当時の僕は本気でそう信じていたけど。

ニコチン中毒から離脱しつつあるいま、

僕はかつて自分が信じていたことに疑問を覚える。

 

悪いのは非喫煙者に気を使えない彼なのかな。

あるいは喫煙者を差別する彼女なのかな。

というか、

喫煙者は、ほんとうに差別されているのかな?

 

この争いは、なにかがおかしい。

 

なぜなら喫煙者とは「ニコチン中毒者」のことだからだ。

 だとしたら、

「喫煙者」と「非喫煙者」の争いは、すべて幻想じゃないか。

 

だってそれは

「中毒者」と「非中毒者」の争いなんだから。

 

本来、僕らは「中毒者」「非中毒者」で争う存在ではなく、

「中毒」自体を根絶するために

お互いに手を取るべき存在だ。

 

ほんとうの争いの原因は「中毒」にある。

もし争うのだとしたら、

喫煙者をニコチン中毒にしている奴じゃないか。

 

彼はニコチン中毒にされた被害者であり、

彼女は被害者の恋人であり、

この争いの犯人は、別にいる。

 

煙草会社だ。

 

たとえばJTは

「喫煙者と非喫煙者がそれぞれ快適に過ごせる毎日を」

みたいなコンセプトで分煙化をすすめたり、

マナーを守る啓蒙広告うっている(ように見える)けど、

そんなの、本質から目をそらすためのお芝居にしか見えない。

 

だって本質は、煙草そのものにあるんだから。

 

発がん性物質が含まれている上に、

おそろしく強力な中毒性がある麻薬。

 

いちど中毒になってしまったら、

使用中止には激しい禁断症状がともない、

結果、使用中止を断念した中毒者たちは

発がん性物質を取り込みつづけることになる麻薬。

 

それが煙草なんだ。

 

そんなものを売っておいて、

「喫煙者と非喫煙者がそれぞれ快適に過ごせる毎日を」

はないだろう。

 

分煙化とかじゃない。

マナーとかじゃない。

 

僕たちは煙草そのものがほんとうに社会に必要なのかどうかを考えよう。

 

だれが自分の子供に

「煙草を吸う大人になって欲しい」

と願うだろう?

 

そう思うなら、なおさらだ。